自分だけの答えをつくる
美術鑑賞ワークショップ
日経STEAMプロジェクトでは5月20日、オンラインカフェを開催しました。美術講師・アーティストの末永幸歩氏を講師に迎え、ひとつの作品から様々な方向に発想を広げて、新しい考え方を生み出す手法などを学びました。
日経STEAMのアドバイザーである末永氏は、まず「美術は絵の描き方を教わったり、美術史を学んだりすることだけではないのでは」と問題を提起しました。例えば数学には客観的な「答え」が存在し、そこに効率的にたどり着くことが重視されます。しかし急速に変化する現代社会では、必ずしも正解が存在しなかったり、従来の考え方では解決できなかったりする問題が増えています。
そこで末永氏は「現代アートには決まった答えのないものが多く、鑑賞者が多様な解釈をつくり出すことを可能にする」と話しました。「現代社会で正解のない問題に取り組み、今は存在しない答えをつくるときには、これまで学校や社会であまり重要視されてこなかった自分らしいものの見方、主観を信じて進むべき場面が出てきます」という話を受け、アート作品の写真を題材としたワークショップが始まりました。
万博開催から50年以上を経た現在も、故岡本太郎氏による太陽の塔は存在しており、その姿は見る人に様々なイメージを与えます。まずはこの写真を見て、気がついたことや感じたことを思うまま言葉にしていきます。「羽みたいなものがあって顔があるから鳥だと感じる」「日本最古の太陽光発電施設」「飛行機かロケット」「宇宙からやって来た侵略者」「牛乳瓶とテレビアンテナの組み合わせ」など、様々な意見が出てきました。
次は自分の発想を一度否定してみます。「鳥だと思っていたが、実はタケノコなのかもしれない」「生き物でないとしたら、個人や社会の感情を表現したものかもしれない」「人が住むマンション」「そんなに大きなものではなく、指サック程度のものかもしれない」など、発想はどんどん膨らんでいきます。
こうした考えをベースに、評論家になったつもりで解説文を書いてみます。そして少人数のグループに分かれて、解説文を紹介しあいました。「この作品は世界平和の象徴としてつくられたもので、2つの顔は慈悲と戦う意思を表現しています」「元々作者は具体的なビジョンを持っておらず、見る人が自由に想像できるように多様性のある造形にしたのでしょう」などの見方が出てきました。
末永氏はまとめの講義で、必ずしも作品そのものに決まった答えが内在しているわけではなく、鑑賞者の見方や引き出し方で変化するものであると指摘しました。「他の人の発想に出会うことも、新たな見方をするための大きなきっかけになるでしょう。また常に自分の見方や、その時点で支配的な物事の見方を疑うことも重要で、自分なりの見方が醸成されます。本日のワークショップはアートを楽しむという目的だけでなく、実社会で未知の出来事に遭遇したときに、自分なりの解決方法を導き出すことにつながるはずです」と締めくくりました。
末永氏は7月28日に開催される「日経STEAM2022シンポジウム」(大阪府立国際会議場)で、対面によるセミナーを行う予定です。詳細・参加応募はこちらhttps://steam.nikkei.com/symposium/20220728/workshop/ までお願いします。
また1時間余りに及んだオンラインカフェ終了後、視聴者から多数の質問が寄せられました。
末永氏はこうした疑問にも丁寧に答えていました。
- Q:小学校から大学の間で「絵を描くのは苦手」という信念を持ってしまう人が多数います。すべての人から絵を描くのは苦手という意識を取り除くにはどうすればよいのでしょうか。
- A:そもそも、「絵を描くってどんなこと?」というところから子どもたちに考えてもらっています。絵を「キャンバスの上に絵の具がのった物質だ」と再定義したジャクソン・ポロックの話や、「身体の運動」と捉えているかのような幼児の造形の話を踏まえ、絵を描くとは、花や星などの形を描くことだけなのか?まったく別のあり方は存在しないだろうか……?というように考える授業をしています。
- Q:さまざまな芸術作品の中でご自身しかこんな見方は、できないだろうというものがあれば教えてほしいです。
- A:アート作品や展覧会についての記事を書かせていただくことも多いのですが、私自身も本日のワークショップで行ったアウトプット鑑賞を実践し、自分なりの見方で作品を捉えて文章を書くようにいつも心がけています。
- Q:自身の考えをいったん否定してみるということが大変新鮮でした。例えば,自分の考えにこだわってしまって変えることが難しい子どもには,どのような対応が有効ですか?
- A:本日のアート鑑賞で手順の2つめとして、自分がしていた見方を否定し「もしそうでないとしたら?」と考えることを行いましたが、アート鑑賞以外の場面でも、このような活動を様々な場面で取り入れています。たとえば、学校の授業や活動をするのに必要なものを書き出し、それを半分遊び感覚で全部否定してみるなど。面白がりながら行っているうちに、物事の当たり前や、自分の考えすらも常に疑い、角度を変えて考えることへのハードルが下がっていきます。
- Q:ご自身の子どもたちにはどのような教育をされているのか、日常の中でアート思考をどのように使われているのかなどお聞きしたいです。
- A:子どもは大人が気付かないようなことに目を向けたり、違うふうに世界を見ています。子どもの視点に立ち、その時々で子どもが出会っているものを想像してみることによって、「大人の当たり前」を問い直すことができるのではないかと思っています。例えば、娘がリビングの床の端から端までクレヨンで絵を描いてしまったとき、私も娘といっしょになって床に描いてみました。画用紙とは違ってツルンと滑る床は、どんどん絵が描けることに気が付き、娘が短時間で大作を描きあげてしまった理由がわかりました。床は紙よりも大きなキャンバスなので、体や手を動かしたいままに動かすのが面白かったのかもしれないし、もしくは、床の上をクレヨンが走る感触を楽しんでいたのかもしれません。こうして考えてみると、子どもが床やクレヨンを自分なりの仕方で捉えて、そこから面白さを引き出していたことがわかります。私自身の視界が広がった出来事でした。